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「モチイエ女子」、ありだと思う。

つい最近まで、女性がひとりで家をもつって
ごく少数派で、ちょっと変わってると思われていた。
マイホームをもつことは、家族の幸せと考えられていた。

いったい誰がそんなことを決めたんだろう。

女性が家をもつって、あんがいあたりまえじゃない?

そんな声が聞こえてきそうなほど、
今、ごくフツーの女子たちが、じぶんの家を買う時代になっています。

家というホームグラウンドを手に入れ、
これまで以上にパワフルに、イキイキと輝いてる「モチイエ女子」。

そんな新しい女性たちが増えれば、この国はもっともっと元気になるから。
なによりそんな未来が、素敵でおもしろそうに思うから。
私たちはこの「モチイエ女子project」を通し、
その生き方、あり!と宣言します。

モチイエ女子web

山内マリコ連載 きょうも家から出なかった

大したことは起こらないけれど、家にいられるだけで充分幸せ。山内マリコが綴る“家から出ない日”の日記。

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Sep.2018 ハンドソープ、アオムシ、ベロニカの部屋のカーテン。

家にいるの、好きですか? わたしは大大大好きです。家で執筆していることもあり、2、3日出かけなくてもまったく平気。平気というか、俄然しあわせです。

ところが驚くべきことに、人はわたしが思っているほど、家にいるのが好きじゃないみたいです。友人知人に、「家でじっとしているのが嫌い」「毎日外に出ないと無理」「どんどん外で人と会う予定を入れたい」タイプが、少なく見積もっても7人います。わたしの友人知人の分母を考えると、これはもう圧倒的に多い! 逆に、「この人は家にいたい派だな」と確信が持てるのはたった3人。世の中の外派と家派も、だいたいこのくらいの比率な気がします。

これは、家から出なかった日にしぼって、家の中で過ごしていたあれこれを書く、家礼賛日記です(ちなみに文中に出てくる「家」はすべて、houseじゃなくてhome)。家から出てないので、大したことは起こりません。でも本人的には、家にいられるだけで充分ほくほくしているのです。

9月某日

洗面所で手を洗ったとき、「あ!」と気がついた。ハンドソープがそろそろなくなりそう。ふふふふ、早く使い切って新しいのに替えたいと思っていたので、すごくうれしい。いま使っているのは、ボタニカル~って感じのシンプルな英語パッケージのもの。この商品を見つけたときは、「こんなにインテリアの邪魔をしないボトルはじめて~」と色めき立ったものだ。

シャンプーにしろ食器洗い洗剤にしろ、目につくところに出しっぱなしになる日用品は、どうせ中身は大差ないんだからと、パッケージが好きなものを反射的に選んでしまう。極力、ボトルに宣伝文句とか書いてなくて、主張してこないものがいい。ハンドソープのときも、「これでもうでかでかと『泡』とか書いてあるものを家に置かなくてもいいんだ」と思って感激した。

山内マリコ連載 ”きょうも家から出なかった”

ところがこのボタニカル調、パッケージはよくても中身がいまいちだった。全然泡立たないし、髪につけるワックスみたいなベトベトしたものだと、2回洗わないとすっきりしない(まさかこんなに中身に大差があるなんて……。いくらなんでも中身のことをナメ過ぎていた)。最初は素敵だと思ったボタニカル調のパッケージもすでに見飽きており、「あ~早く違うのを使いたい」とじりじりしていたのだ。しかもわたし、気に入ったものはストック買いする方なので、この中身いまいちハンドソープの詰め替えを、2つも3つも買っていた。一体いつ使い切るのだろうと思っていたけど、ついにそのときが!

机に向かって原稿を書きつつ、片手間にネットでハンドソープを検索。洒落たパッケージのものはいろいろあるけれど、一律割高だ。しかしこれはまぁ、喫茶店における「雰囲気代」みたいなものだから。外国の調剤薬局風パッケージのやつに惹かれ、とりあえずカートに入れておく。

9月某日

最近、書道教室に通いはじめたという友人が二人いる。流行ってるのかなぁ? いずれとも、小学生がやるようなお手本どおりに書くまじめな習字じゃなくて、好きな言葉や好きな文章を、癖のある字でのびのび書くのがモットーの、楽しいおとなの習字だ。へぇ~そういう習字ならわたしも習いたいな、などと言っていたのが、もう何ヶ月も前のこと。

習いたい気持ちはすごくあるものの、わたしの腰はとても重い。うちに習字の筆と墨汁はあるので、のびのび書くのなら、家でもできるしなぁ。

山内マリコ連載 ”きょうも家から出なかった”

そんなわけで、フリー習字をやってみようと思い立った。好きな言葉、好きな文章か~。こんなときはやっぱり詩だな。エミリ・ディキンソンの詩集から文言を拝借し、テレビをちらちら見ながら小1時間書いてみる。まあまあいい感じに書けたやつがこちら。

けっこう楽しかったので、また今度やってみようと思う(しかし半年後くらいでいい)。友人は、教室の生徒全員が出品する作品展のため、最後は合宿状態で追い込みをかけたそうだ。その話を聞いて、わたしは震えあがった。やはり習いには行かず、気が向いたときに自宅でフリー習字をやろう。年に2~3回ほどの、ゆるい趣味として。

9月某日

夏のはじめ、ベランダのプランターに植えた朝顔と夕顔が、すっかり立派なグリーンカーテンになった。夜型のわたしが起きてくるころには、朝顔はすでに咲き終わってしぼんでいるという悲しいすれ違いはあるものの、葉っぱはネットの上の方までみっちり茂っている。上出来だぁー。

しかしこの1週間ほど、ベランダの地面に、どう見てもアオムシのうんこにしか見えない黒い粒状のものがポロポロ落ちるようになって、一気に気持ちが萎えた。葉っぱはたくさんあるので、食べられる分には別に構わないのだけれど、問題はうんこだ。

山内マリコ連載 ”きょうも家から出なかった”

狭いベランダの全面がグリーンカーテンに覆われているので、いつうんこが降ってくるかもわからない。おいそれとベランダにも出られず、洗濯物も干せない。これは困った……。執念で2匹のアオムシを駆除したものの、とにかく擬態がうますぎてお手上げ。

ところがそのアオムシ、先日の台風で、どこかへ飛ばされたようだ。毎日毎日新たなうんこがポロポロ落ち、しかもうんこの粒は日に日に大きくなって、アオムシの順調な成長具合を物語っていたのに、ぱったり落ちなくなったもん。

アオムシ、飛ばされたかぁ。なんだか、ほんのちょっと、気の毒。「こうなったらアオムシが成虫になって巣立つまで見守るか」と、共存する方向にシフトチェンジした矢先の出来事だった。

9月某日

急須をゆすいで水切りかごに置いていたら、注ぎ口の先端がぽろっと欠けてしまった。ショック……。わたしはポット愛好家で、コーヒー用、紅茶用、沖縄のさんぴん茶用、台湾茶用など、いろいろなポットを集めているけれど、なかでもいちばん気に入っている日本茶用のやつが! 欠けたぁぁぁ……! 

しかもこの日本茶用の急須の、とりわけキュッと反り返った口の繊細なラインにぞっこんラブで、いつもお茶を淹れるたびに見惚れていたのに。これはつらい。茶ものどを通らないレベル。ついに行くか~、金継ぎ教室。

急須以外にも、すでに欠けてしまったお皿がけっこうな数たまっていて、毎回思うのだ、「ついに行くか、金継ぎ教室」と。しかし例によって例のごとく腰が重いので、ありとあらゆる皿を欠けたまま使っているのだけれど、愛する急須の欠けはマジでショックすぎて、今度こそ本気で、金継ぎ教室に行くべきときが来た気がする。

9月某日

風呂上がり、バスローブにくるまったままベッドに横になって、寝室のテレビを見るのが至福のひとときである。映画『ふたりのベロニカ』を流していたら、ふと、ベロニカ宅のカーテンに目がとまった。むくっと起き上がり、一時停止して、舐めるように見る。

何年も窓にかかってそうな、日に焼けてぼそぼそした、ちょっとほこりっぽい、レースのカーテン。レースと言っても日本のものと違って、かぎ針編みで凝った図案の、ヨーロッパの民芸品みたいなやつだ。

いても立ってもいられず、ネットでそれらしいものがないか探してみたけど、ベロニカのほど具合のいいものは見当たらなかった。そのうち外国旅行でもしたときに気長に探そうと、心の欲しいものリストに「ベロニカの部屋のカーテン」を書き加えて、寝る。

文=山内マリコ

山内マリコ

作家。1980年富山県生まれ。2008年「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。2012年刊行のデビュー作『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎文庫)が映画化され、全国順次公開中。近刊に『あのこは貴族』(集英社)、『メガネと放蕩娘』(文藝春秋)、『選んだ孤独はよい孤独』(河出書房新社)。

イラスト=戸屋 ちかこ

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